今日と明日の金しかない

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ツイッターでのガス抜き、ハードデスクのクラッシュ等、訳あってブログの更新が滞った。この間、参院選や臨時国会、トヨタ等自動車産業の黒字化やいろいろあったが、以前として世の中は暗澹たる空気で満たされ、自殺者も減らない。特に中小企業の経営者の資金繰り悪化による自殺が多い。

これは日本型金融システムが崩壊してから顕著な傾向だ。20世紀前半、世界経済は自由経済に移行した。が、世界大恐慌、第二次世界大戦は世界の自由経済を混乱させる。先進国では健全経営していても連鎖倒産を恐れ、特に金融市場を厳しく統制し、政府の監督下に置くという考え方が芽生え始める。日本では戦後、経済が回復し始めた頃,旧大蔵省は政府主導の下、いわゆる護送船団方式をとり始めた。そもそも"護送船団方式"とは速力の異なる何隻もの船が船団航行するとき、最も速力の遅い船に合わせて落後を防ぐ航法だ。

これにより銀行は成長分野にある企業には多少の赤字も大目にみて長期の成長を促した。'60年代の高度成長はこうして実現した。企業側も雇用に際して年功賃金と終身雇用を制度とした。人々は行く末に大きな不安を抱かずに暮らしていけた。その原動力のひとつが横並びで競争しない金融機関であったと言っていいだろう。またこの頃のバンカーは人を見て金を貸す風潮が色濃かった。

しかし、'80年代頃から少しずつ様変わりが起こり始めた。銀行の経営への介入をよしとしない企業が現れる。ソニーやトヨタは日本の銀行に融資して貰わなくとも欧米の金融市場で起債して資金調達が可能なほど実力をつけた。銀行は顧客としての優良企業を失い始めた。そこにバブルが起こる。銀行はこれに乗り、まともな審査も担保も考えず、不動産購入の為なら融資を乱発した。

バブル崩壊後、日本経済は平成不況となり、国はその元凶を金融機関とみなした。不良債権の処理を進めず、ゼネコン、不動産業、流通業等不況企業を後押ししたからだ。'97年、旧大蔵省は山一證券や北海道拓殖銀行の廃業を後押しした。国は護送船団方式を幕引きしたのだ。'99年には金融庁が「金融検査マニュアル」を策定した。旧大蔵省の裁量行政でなく公平な検査ルールとされた。しかし'98年から先進国の財務基準であるBIS規制に日本も当てはめられていた。銀行の資産が地価の値下がりとともに目減りしていたのだ。そこへ金融検査マニュアルを厳しく適用すれば、銀行は負債を圧縮するため、貸し渋りや貸し剥がしを行うしかなくなった。小泉政権では不良債権処理の対象として。いわゆる「問題30社」も名指ししたのに、実際は中小企業にも過酷過ぎる検査マニュアルが適用されるのが慣習化して、現在に到っている。

バブル時はしがないライターのぼくにさえ、銀行は、会社組織であり、黒字だからという理由だけで金を借りてくれとか、別荘等、不動産投資の話を持ちかけてきたほどだ。こんな酷い国になった大きな理由は、国及び銀行の放漫運営にある。国も金融機関も人を見ず、数字と担保でしか中小企業を判断しなくなっている。銀行へ行こうと政府系金融機関に行こうと、担当者は「担保は?」という質問と決算書(それも3期分)だけで融資を決める。人をみて金を貸せは死語なのだ。死語は累々たる自殺者を今日も生み続けている。

ぼくの専門分野である音楽業界でも、ヒットするなら金を出す。どんな才能がありそうにも見えても、それを認めても、投資として才能を担保してくれる事が無くなった、護送船団方式が、瓦解した頃からそれは始まっている。他の業界でも似たり寄ったりだろう。

この国は自信や才能を担保することを放棄してしまったのだ。今日と明日の金しか考えない、浅ましい国になってしまったのだ。しかも、その原因を作ったのが、本来は信用すべき国や金融機関だから性質が悪い。この国を少しでも変えようと思うなら、ボブ・ディランのように見張塔からずっと監視し続けねばならないののだろうか?

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このページは、岩田 由記夫が2010年8月 5日 00:35に書いたブログ記事です。

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