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今、何が歌われるべきか?

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本当に長い間、ブログを空けてしまった。ツイッターで毎日、140字ぴったりで書く喜びと苦痛の性だろうか。3月11日以降、呟きも内容が変わった。どうしても脱原発を訴えていかなければならないからだ。
戦後、この国はアメリカによって民主主義と資本主義を徹底的に叩き込まれ、まるでアメリカの自治州の一つになってしまった。確かに表面上の生活は豊かになったかもしれない。昔、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」を読んだ時、テイッシュ・ペーパーなる柔かい紙が次々と浪費されるのに驚いた。その頃、僕は高校1年で一人暮らしを始めたばかりだった。一人暮らしといっても優雅なものではない。親戚中から高校へ行くのを貧困ゆえに反対され、母と弟が暮らす4畳半のアパートを出て一人で自活を始めたのだ。といっても、広さは4畳半、トイレも台所も共同だった。トイレにはいつも固い和紙か新聞紙を使用、当然、水洗でなかった。だから、テイッシュ・ペーパーなるものをあんなに贅沢に使えるアメリカの豊かさに驚いたのだった。
しかし、民主主義と資本主義は本当に正しいのだろうか?両方はセットでなければいけないのだろうか?最近の日本を、アメリカを、世界を見ていると思うのだ。(この項、続く)

今は・・・です。

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今はとにかく皆が力を合わせる時です。日本人の特質は"おもてなし"と"助け合い"だという事を世界に示しましょう。今は党利党略などを越えて政治が信頼を取り戻す良い機会です。ここで一番してならないことはつまらない足の引っ張り合いです。今は批判すべき時でなく、被災地域や復興のために幸い被災をまぬがれたぼく達が協力すべきです。皆さん、言いたいことは山ほどあるでしょうが、それは平時にすべきです。不眠不休で未曾有の災害に立ち向かっている方々にただただ頭を垂れる時なのです。自分自身の不満を解き放つだけの人はそうやって自分の欲求や利益を満たそうと考えていると思わねばなりません。日本国家というぼく達の共同体を守るべき時が今なのです。イデオロギーや市場原理を越えて何かをするべき時が今なのです。この大自然の力と尊い犠牲を未来に運ぶ、それがぼく達の課題です。

時代は変わるの真っ最中

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ツイッターの敷居が低くてブログから遠ざかってしまった。                             そうしたらいつの間にか政治の季節になっている。国内の停滞感、菅政権の失態続き。そこへ尖閣問題。さらに韓国と北朝鮮の軍事衝突。内憂外患である。国民皆評論家状態だ。

米軍基地問題などいつの間にか沖縄に引き続き置くことが既製事実になっている。いろいろな糸がこんがりににこんがらかっている状態だ。

尖閣問題はそんな日本の現状を見透かした中国お得意の揺さぶりだろう。朝鮮半島軍事衝突は北朝鮮軍部の一部の跳ね返りによる暴走と思う。金正日の影響力の低下が軍部の一部の暴走を呼んだ。ただ独裁政権としてはそれを追認しないと権力の弱体化と見られるので追認した形でアナウンスメントせざるを得なかったと読む。

菅政権は雇用の創出を公約に上げていたがそれどころでない状態、機能麻痺している。ぼくは日本人は人的資源として優秀だと思っている。労働者派遣法を撤廃し再構築するのが先決だ。新卒者の採用率の低さばかり問題になるが、ここ数年、卒業したものの不本意な派遣社員に甘んじたり、それでもましで仕事につけない若者、リストラされた中高年層はどうなるのか?

日本の企業が日本人を活かせないでどうする。グローバル化の名に隠れて安い労働力を海外にばかり求めていると絶対に国家は弱体化するというのは自明の理と思うのだが。国際競争力は確かに必要だが祖国で国民が安心して暮らせない国は絶対に弱体化する。

一党独裁はそろそろ日本では馴染まなくなっている。自民党が駄目で民主党も駄目でとなれば不安定でも連立政権を選び、制作毎に協議していく選択肢も必要ではないだろうか。民主主義とは期間限定の独裁政権なのだが、そのことが制度疲弊を起こしているのが現状だ。

こんな状態になればただでさえ外交下手な日本はあらゆる国から揺さぶりをかけられるのは間違いない。国民よ、いまこそ一致団結せよとぼくは言わない。あらゆる意見も中から少しでも良さそうなものを合議で実行していく。その中から朧気ながらも次の時代が見えてくる。そんなスタンスも必要だと考えている。ボブ・ディランの「時代は変わる」、その真っ最中に現在の日本はある。

今日と明日の金しかない

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ツイッターでのガス抜き、ハードデスクのクラッシュ等、訳あってブログの更新が滞った。この間、参院選や臨時国会、トヨタ等自動車産業の黒字化やいろいろあったが、以前として世の中は暗澹たる空気で満たされ、自殺者も減らない。特に中小企業の経営者の資金繰り悪化による自殺が多い。

これは日本型金融システムが崩壊してから顕著な傾向だ。20世紀前半、世界経済は自由経済に移行した。が、世界大恐慌、第二次世界大戦は世界の自由経済を混乱させる。先進国では健全経営していても連鎖倒産を恐れ、特に金融市場を厳しく統制し、政府の監督下に置くという考え方が芽生え始める。日本では戦後、経済が回復し始めた頃,旧大蔵省は政府主導の下、いわゆる護送船団方式をとり始めた。そもそも"護送船団方式"とは速力の異なる何隻もの船が船団航行するとき、最も速力の遅い船に合わせて落後を防ぐ航法だ。

これにより銀行は成長分野にある企業には多少の赤字も大目にみて長期の成長を促した。'60年代の高度成長はこうして実現した。企業側も雇用に際して年功賃金と終身雇用を制度とした。人々は行く末に大きな不安を抱かずに暮らしていけた。その原動力のひとつが横並びで競争しない金融機関であったと言っていいだろう。またこの頃のバンカーは人を見て金を貸す風潮が色濃かった。

しかし、'80年代頃から少しずつ様変わりが起こり始めた。銀行の経営への介入をよしとしない企業が現れる。ソニーやトヨタは日本の銀行に融資して貰わなくとも欧米の金融市場で起債して資金調達が可能なほど実力をつけた。銀行は顧客としての優良企業を失い始めた。そこにバブルが起こる。銀行はこれに乗り、まともな審査も担保も考えず、不動産購入の為なら融資を乱発した。

バブル崩壊後、日本経済は平成不況となり、国はその元凶を金融機関とみなした。不良債権の処理を進めず、ゼネコン、不動産業、流通業等不況企業を後押ししたからだ。'97年、旧大蔵省は山一證券や北海道拓殖銀行の廃業を後押しした。国は護送船団方式を幕引きしたのだ。'99年には金融庁が「金融検査マニュアル」を策定した。旧大蔵省の裁量行政でなく公平な検査ルールとされた。しかし'98年から先進国の財務基準であるBIS規制に日本も当てはめられていた。銀行の資産が地価の値下がりとともに目減りしていたのだ。そこへ金融検査マニュアルを厳しく適用すれば、銀行は負債を圧縮するため、貸し渋りや貸し剥がしを行うしかなくなった。小泉政権では不良債権処理の対象として。いわゆる「問題30社」も名指ししたのに、実際は中小企業にも過酷過ぎる検査マニュアルが適用されるのが慣習化して、現在に到っている。

バブル時はしがないライターのぼくにさえ、銀行は、会社組織であり、黒字だからという理由だけで金を借りてくれとか、別荘等、不動産投資の話を持ちかけてきたほどだ。こんな酷い国になった大きな理由は、国及び銀行の放漫運営にある。国も金融機関も人を見ず、数字と担保でしか中小企業を判断しなくなっている。銀行へ行こうと政府系金融機関に行こうと、担当者は「担保は?」という質問と決算書(それも3期分)だけで融資を決める。人をみて金を貸せは死語なのだ。死語は累々たる自殺者を今日も生み続けている。

ぼくの専門分野である音楽業界でも、ヒットするなら金を出す。どんな才能がありそうにも見えても、それを認めても、投資として才能を担保してくれる事が無くなった、護送船団方式が、瓦解した頃からそれは始まっている。他の業界でも似たり寄ったりだろう。

この国は自信や才能を担保することを放棄してしまったのだ。今日と明日の金しか考えない、浅ましい国になってしまったのだ。しかも、その原因を作ったのが、本来は信用すべき国や金融機関だから性質が悪い。この国を少しでも変えようと思うなら、ボブ・ディランのように見張塔からずっと監視し続けねばならないののだろうか?

test

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test

民主党が負け、ねじれ国会になる。そうしたらどうなる?そんな事ばかりがマスコミの関心か。国民はもっと覚めている。今やにほんでは政治家はテクニシャンである事が要求され、本質を語る政治家が殆ど不在だ。誰が総理になろうと財政再建が必要になる。例えば、みんなの党が政権を獲ろうとこの問題から逃れられまい。大切なのは0か100という国民性を無視し、宮沢賢治ではないが、雨が降ろうとしっかり歩んでいく人材が求められている事だ。

財政再建は確かに重要かもしれないが、公務員制度や議員定数の削減、歳費削減など全体から見れば微々たる金額であろうと官は姿勢をみせる必要がある。民主党の敗因は消費税を言い出したからというが、同じく消費税を言い出した自民党は伸びた。が、比例区では民主党の方が勝った。この事も一概に自民党勝利をいえない理由だ。政治が瞑想しているから、国民はもっと考えなければ移行期的混乱は深まるばかりだ。

一度でいいからテクニック先走りの選挙でなく、本質を問う選挙に参加したい。投票をしたい人がいないというのは悲しすぎる。どうせねじれるのなら、思い切ってアメリカのように大統領直接選挙制まで考えるのはどうだろうか?大統領と議会のねじれの方がまだ見ごたえがあるというものだ。

旗が観たい

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ワールド・カップ、選挙、梅雨・・。7月である。ワールド・カップは"平和な戦争"である。国と国が戦うのだ。TBSの視聴率が深夜11時のキックオフにも拘らず60%近かった。真珠湾攻撃が現代に起き、TVで放映されたらこのくらいの視聴率は獲るだろう。1次リーグまで勝ち進んだ日本は差し詰め、第2次世界大戦の始めのようなものだ。初めは強いが、次第に追い詰められていくタイプの国民性なのだろう。第2次世界大戦の端緒と同じく、今回もマスコミに踊らされ、民意は一つに纏まった。行きつけのマッサージ治療院でお婆さんから"オフサイドって何なの?日本、勝って嬉しいね"とデンマーク戦の後に話しかけられた。こういうのが国民が一つに纏まる事なのかと妙に納得した。

悲しいのは民意はマスコミにコントロールされ易いのに、国民の中からサッ7カーであれだけ纏まれたのだから、人類未曾有の移行期的混乱の中、政治や経済、文化の面で纏まろうよという声が聞こえてこない。政治家の演説など所詮たわごと、妄言だと皆は見破っているのかもしれない。ならば我々は何の旗の下に集まればいいのだろう?ファッショを望むわけではない。只、参議院選挙一つをとっても余りに危機感が無さ過ぎる。何本かの旗が欲しいのだ。明日は未来で予測不能だが、それでもすこしはましな旗を観てみたい。

Mr.KAN=Tax Man?

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消費税の値上げを民主党、自民党が言い出している。そりゃ税金は安いに越した事はない。が、将来を考えるとぼくは消極的消費税値上げ賛成論者かもしれない。その前に、議員定数の削減、公務員給与の減額を行うのは国民への仁義ではないだろうか?さらに値上げ分は年金、福祉関係の財源使用に限るべきだ。また、食料品、CDや本などには別税率を適用すべきだと思う。

なぜ消費税値上げ反対の声が大きいのか?それは前述したような事が確約されていないからだ。政治家や公務員が信用されていないという理由もある。以上の案件を満たすなら国民の一人としてまあ、仕様がねえかという気分にようやくなれるだろう。

それにしても日本の音楽シーンは淋しい。ビートルズの「タックスマン」のような曲が生まれて来ないからだ。文化まで巻き込んで税金を語る風土は絶対に必要なのに。

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